AIDで生まれるということ …佐藤さん(仮名)

インタビュー2 
 
 AIDで生まれるということ …佐藤さん(仮名)

 聞き手・構成・文/白井千晶

この語りは、『紙REBORN』32号(REBORN、2010年3月発行)「不妊当事者の声を聞く 第3回 AIDで生まれるということ」から転載しています。

 AIDという言葉を聞いたことがあるだろうか。非配偶者間人工授精。父親として育てようとする人以外の精子提供を受けて人工授精する不妊治療の一つだ。1948年に慶應大学病院で実施されたのが日本の記録に残る最初のAIDで、以来60年以上の間に、何万人かが生まれたとされる。日本産科婦人科学会がガイドラインを示して記録をとるようになったのは1998年から。これまでの実態は実のところよくわかっていない。
 子どもをもちたいのに、妊娠・出産ができない、しづらいカップルに道を開くとされる不妊治療。しかし、生まれた子も、その当事者である。今回は、AIDで生まれたある女性にその経験と思いを語っていただく。



佐藤さん(仮名)の経緯

 AIDで生まれたことを知ったのは、23才の時でした。父の遺伝性の疾患がきっかけです。父に進行性の遺伝性疾患がわかったのですが、私には隠されていたんですね。でも私が診断名を見てしまい、50%の確率で遺伝するとのことで、不安で夜な夜な調べる私に、母はこれ以上黙っていられないと思ったようです。
 「実はあなたは、お父さんと血がつながっていない」「A病院で精子の提供を受ける不妊治療をやっていた」「提供者はわからない」。話されたのは、ただ、これだけでした。母親もとても動揺していました。それ以上は何も語られず、その話題は一切出すな、という態度でした。
 私はそれまでの生活がまったくできなくなってしまいました。毎日泣いてばかりで、通っていた学校に行こうとしても行く道で泣けてきたり、それ以外のことが考えられないので、そもそも学校に行くことさえどうでもよいような状況になり、結局退学してしまいました。このことに触れたくないという親の態度に傷つき、事実を知って1ヵ月で私は家を出てしまいました。

 私が感じた問題は、大きく2つ。1つは、長い間、親が隠していたということ、隠したいと思っていること。父親と血がつながっていないということそのものではなく、これまでずっと親に隠し事をされていたことの辛さです。なぜ隠したいと思うのか。タブーとして扱われることで、自分自身が恥ずべき存在であるかのように感じました。
 2つ目は、今まで信じていたものが突然崩れてしまう感覚です。事実を知るまでの自分の人生が、嘘の上に成り立ってきたように感じました。親は、私がAIDで生まれたことを隠すために、嘘に嘘を重ねてきました。父と似ていないことについて、父には似ていないけれども、父の祖父には似ていると言われてきたり、父の遺伝性疾患は女児には遺伝しないと嘘をついたり。でも、私以外の家族全員がこのことについて知っていたのです。


自助グループ

 同じ経験をしている人はいないのか、同じ立場の人と話したい、と強く思いました。私が事実を知ったのは2003年。NHKでAIDで生まれた海外の男性が精子提供者をしらみつぶしに捜しているという衝撃的なドキュメンタリーが放映されたのが2002年、彼が当事者グループを作り運動を始めたのが2004年で、マスコミにも取りあげられるようになっていました。私もマスコミを通して、やっと同じ立場の2人に出会うことができ、2003年に3人で自助グループを立ち上げました。
 同じ立場の人と話したり、海外で当事者が語りはじめたことでわかったのですが、私のときと同じように、AIDで生まれたという事実が知らされるのは、家族の危機的状況と重なることが多いのです。例えば私のように、親の重大な病気。あるいは父親の死、両親の離婚など。危機的状況と告知で二重のショックを受けることになります。

 また、そういう時期は、かなり年齢がいってからになります。私の場合は23歳で、これは早かった方です。他の人は30代、40代など、結婚や出産など大きな決断をしたあとに知ることになります。自分のルーツの2分の1がわからないということは、子どものルーツも4分の1がわからないということになる。自分のせいで同じ悩みを子どもにも引き継いでしまったと苦しむことにもなります。

 また、同じ立場の人と話すようになってわかった共通点は、家庭内の違和感や緊張感を感じていた人が多いということでした。私は、それが血のつながりがないからなのか今となっては確かめられませんが、父が私に関心をもってくれていないという違和感をもってきました。自分が養子なのではないか、母が不倫をして生まれた子なのではないかと感じてきた人もいます。子どもは非常に敏感で、隠し通している、隠し通せていると思っているのは大人だけだと思います。実際、私が事実を知った時には、驚きももちろんありましたが、納得した面もありました。子どもは、直感で違和感を感じるものです。そして、触れてはならないことには触れない。だから子どもが違和感を感じて育ってきたのに、親は隠せていると勘違いしてしまうのです。病院では隠し通すことを前提にAIDが実施され、親も隠し通さねばと思っていて、でも実は隠し通せていない。それが問題を深くしているのです。


AIDの問題

 私が自分の経験を通して、今後解決されなければならない重要な課題だと思ったことは、親自身がこのAIDという技術を肯定できていないこと、親と子どもの意識の違い、告知のための情報がない、の3点です。
 親自身がAIDを肯定できていないために、子どもに積極的に告知することができなくなっています。「夫婦がいて血のつながった子どもがいる」という家族に見せかけるための技術になっているので、親はAIDを肯定できていません。もしAIDが養子縁組と同じように「新しい家族」を作るものだと肯定できれば、子どもに小さなころから告知し、子どもは認められているという安心感をもって、信頼関係を築くことができると思うのです。どんなに年齢が低くても、親が大切な話をしてくれているという誠実な姿勢は子どもに伝わります。みせかけで家族をつくるのではなく、つながりでつくることが重要だと思います。

 2つ目の親と子の意識の違いというのは、親は事実を伝えることで子どもを傷つけると思いこんでいることです。
 私の立場から言うと、傷つけると親が思っていることが失礼なことです。私は、親が隠したいと思うようなことで生まれてきたのか。なぜ真実を伝えることが私を傷つけると思うのか、それはAIDを肯定できていないこととつながっています。

 3つ目の告知のための情報がないということは、親自身がAIDについての情報をもっていないので、子どもに何をどう告知していいのかわからないということです。そのため、子どもが事実を知った時に、崩れてしまった自分を再構築するための情報と環境を手に入れることができません。失われた部分を埋め、再確認していく作業が必要なのに、AIDについて、提供者についての情報もなく、相談できる機関もなく、同じ立場の人とのつながりもないのです。他の人はどう受けとめて、どう生きているのかモデルケースがありません。


AIDの今後

 私自身は、AIDという技術に反対です。生殖技術の選択肢が増えることは、本当によいことなのでしょうか。AIDは、社会に受け入れられているのでしょうか。AIDを否定することは自分を否定することになると言われることもありますが、それは違います。技術を否定することと、当事者を否定することはまったく別のことです。AIDは60年続いてきたという既成事実の下に、是非が議論されることさえありません。でも生まれた子が直面する問題は、今議論されている代理出産や卵子提供、受精卵(胚)提供と同じです。ルーツを知りたいと思うのは、当たり前のことです。

 親が離婚しても、死別しても、養子縁組でも、遺伝的な親をたどったり、ある程度の情報から遺伝的な親の姿を想像することができるのに、私たちだけそれができないのはおかしいと思います。例えば病院で家族歴をたずねられても、それがわからない。不安があっても、解消できる術がありません。出自を知ることで、精子というモノから生まれたのではなく、人を介して生まれたのだということを実感したいという気持ちもあります。親はこの技術を使うか使わないかを選択できるのに、子どもは受け入れて生きていくしかありません。ならば、子どもにとって最善のシステムが整うべきだと思います。


個人的なことから社会的なことへ

 生殖技術はとかく「自分でそれを選んだ」という自己決定、自己責任の下に、個人で対処すべき問題に押し込められてしまっています。AIDを選択した男性には精子がないという負い目があったかもしれませんし、女性には子どもを産まねばという圧力があったかもしれません。AIDで精子を提供した男性も、何十か年たって自分が問題(例えば妻や子に、遺伝的つながりがある子が他にいるかもしれないと告白することができない、自分の子がパートナーに選んだ人が自分と遺伝的つながりがあるかもしれないと不安に思うこと等)に直面するかもしれないことなど説明もされず、想像もつかなかったかもしれません。さらに、自分の判断で精子提供し、しかも些少でも金銭を受理しており、今は家庭を築いているということから、問題をオープンにできないのかもしれません。しかし、AIDで生まれた人びとを含め、この技術に関わった当事者の問題はすべて、個人的なことではなく社会的なことであると、私は訴えたいと思います。

 生殖技術を使う人と使わない人がいて、それは自己決定だから個々人の問題だというのは違うと私は思います。例えば、事実を知ってすぐのころ、どうしたらよいか行き詰まってしまって、周囲に話したことがありました。そこで言われたのは、「そこまでしてほしかったなら、愛されているんでしょう」「育ててもらったことに感謝しなければ」ということでした。これを言われると、私はもう何も言えなくなってしまいます。私は傷つくことを恐れて、次第に周囲に話せなくなっていきました。
 この技術には関わらなければ関係ないのではなく、やはり社会全体の問題だと思います。

非配偶者間人工授精で生まれた人の自助グループ
DI Offspring Group(DOG) http://blog.canpan.info/dog/

第三者の関わる生殖技術について考える会
http://blog.canpan.info/dconception/
2010年3月20日立ち上げ集会を開催。

 この語りは、代理出産を問い直す会の第3回研究会の講演をまとめたものです。体験と考えを語って下さった方、掲載を承諾して下さった代理出産を問い直す会に感謝します。


お話をうかがって

 「事実を知った時、私が悩み苦しむことが親を傷つけることになり、よけいに苦しかった」「事実を知らせるという選択肢を与えられずに生きてきた親もまた混乱していた」と佐藤さんは語ります。遺伝的につながりがないこと、生殖技術を使用したことを隠さなくてもよい社会にならないと、AIDを選択した人も、精子を提供した人も、語れるようにはならないのではないでしょうか。

パンフレット「子どもが語るAID」 DI Offspring Group発行 (A5版:12ページ)1部500円
◎購入方法:E-mailで。
件名を「冊子購入」として、(1)名前、(2)住所、(3)電話番号、(4)購入部数を明記のうえDOGoffice@hotmail.co.jpまで

babycomに提供した記事をbabycomの許可を得て転載しています。